コロナ後の世界
新型コロナウイルス感染症(以下、「コロナ」)と共存しながらの経済が少しずつ動きだしていますが、騒動が終息するのはまだ長い道のりです。今まで築き上げてきたものを停止せざるを得ない痛みは、各方面に今までにない大きなダメージを残しています。
しかし、人々の生活がある限り世の経済活動は止まることはないと思います。この数カ月の間に、次のような言葉が日常的に聞かれるようになりました。
不要不急、濃厚接触、リモートワーク、クラスター、スピード感、ロックダウン、3密、コロナ自粛、オンライン飲み会、ソーシャルディスタンス…。
歴史上、過去にも予想を超える災禍がいくつもやってきましたが、そのたびに人々は困難を乗り越え学んできました。日本人はよく、控えめで自己主張が弱い国民と言われますが、忍耐力があり集団で協力できる良さもあると思います。これまで日本にも数々の困難がありましたが、そのたび工夫して今の繁栄を築き上げてきました。私たちは今回の禍も受け入れ、変わらなければならないと思います。もしかしたら日本は、ちょっと経済発展を急ぎすぎたのかもしれません。コロナ禍が過ぎ去った後は、今までとは違った価値観が生まれ、人に優しい成熟した社会がやってくるかもしれないとも思っています。それはいったいどんな世界なのでしょうか?
まずは、ちょっと前の、経済も元気だった頃の日本を振り返ってみましょう。元気だった頃の昭和以降は、私が実際に見てきた時代です。個人的な記憶とエピソードを交えながら時系列にまとめてみました。若者には驚くことばかりかもしれません。スマホもなく不便も多い生活ではありましたが、未来への夢と希望は確実にあった時代だったと思います。
昭和(東京オリンピック以後)~のできごとと物価
- 1964年
東海道新幹線開業。10月ブルーインパルスの描いた五輪と、白い鳩が印象的な東京オリンピック開催。 テレビのチャンネルはリモコンではなくつまみを回すものだった。 - 1966年
ビートルズが来日、ウルトラマン放送開始。大学進学率は11.8%。 - 1967年
日本の総人口が1億人超え。 - 1968年
当時コーヒー80円。3億円強奪事件が連日ニュースになるが迷宮入り。1ドルは360円に固定されていた。 - 1970年
大阪万博、未来へのあこがれと三波春夫のテーマソングが耳に残った。学校給食は先割れスプーン、週末のテレビ生中継ドリフの「8時だョ!全員集合」に没頭。“いじめ”という言葉はなかったが“不幸の手紙”が流行した。 三島由紀夫の割腹自殺。平均寿命は男性69.31歳、女性74.66歳。コーヒー120円。大学進学率17.1%。 - 1971年
ニクソンショック。総人口は1億510万人。仮面ライダー放送開始、カップヌードル発売。 - 1972年
浅間山荘事件の連日テレビ中継と、沖縄返還で車が一斉に左側通行になった映像が衝撃的だった。大学進学率は21.6%。 - 1973年
オイルショックで、はじめてトイレットペーパー不足の免疫を得た。 - 1974年
元日本軍の小野田さんがルバング島より帰還。修学旅行でモナ・リザ展を見た。この年、ドリフのメンバーの荒井注が脱退し「志村けん」が加入した。 - 1976年
ハガキは1枚20円になった。 - 1977年
この年発売のプリントゴッコ、1979年発売のウォークマンにはお世話になった。 - 1978年
キャンディーズ解散。コーヒー280円。はじめてのM7.4クラスの地震体験で交通・電気・ガスの尊さを実感した。 - 1980年
モスクワオリンピックに日本選手団は不参加。ルービックキューブが大流行し、山口百恵が引退した。平均寿命は男性73.35歳、女性78.76歳。 - 1981年
ハガキは1枚40円になった。 - 1982年
総人口は1億1872万8000人。日航機羽田沖墜落事故。テレホンカードと500円硬貨が新登場。大学進学率は25.3%。電子レンジ普及率は39.9%。 - 1983年
東京ディズニーランド開園。 - 1985年
プラザ合意で急速に円高が進行。ファミコンブーム。大卒初任給は約14万円。 - 1986年
ソ連でチェルノブイリ原発事故発生。伊豆大島の三原山噴火で全島民避難。首都圏の地価上昇でバブルがはじまる。 - 1987年
国鉄が民営化でJRになる。ニューヨークで株価大暴落「ブラック・マンデー」。 - 1989年
昭和天皇崩御で平成と改元される。ゲームボーイ発売。消費税3%導入。 - 1990年
雲仙・普賢岳噴火。ちびまる子ちゃん放送開始。大卒初任給は約17万円。 - 1991年
湾岸戦争勃発。新宿に新都庁舎開庁。バブルが崩壊。 - 1994年
ハガキは1枚50円になった。
(※一部参照:「昭和タイムス」(株)デアゴスティーニ・ジャパン)
これからどんな変化が訪れる?
いかがでしたか?ここ50年ぐらいの間でも、日本がだいぶ変わってきたことがわかります。これから元気に生活をしていくために、最近の発達、発展の数々をあげてみましょう。
バリバリ昭和世代の私がすごいと思うのは、なんといっても最近のSNSの発達です。人は社会の中で生きていますから、人と人とのコミュニケーションはなくなることはないはずで、非接触のツールとしてSNSによるコミュニケーションはますます発展していくと思います。
職場ではビデオ会議やオンライン研修、医療や教育現場ではリモート診療やオンライン授業が広がっていくと思います。
さらに欧米に比べボランティア意識が低かった日本において、クラウドファンディングが急速に普及しています。一個人が、事業や人の為に資本参加して、社会に役立ちたいという意識が芽生えているのは喜ばしいことです。コロナが終息した後には、新しく成熟した社会システムがやってくると信じて、新規事業にも期待大です。
【仕事と暮らし】
元々日本家屋は風通しがよく、夏場の換気機能に優れています。若い世代の間でも自然回帰と健康志向が広まっており、田舎へ移住して、スローライフの中で子育てや趣味を楽しみながら働きたいという人が増えています。今後は地方の空き家の再利用が進むといいと思っています。テレワークもますます普及して暮らし方が変わり、通勤手段、勤務時間、単身赴任、定年制度、週40時間労働などの働き方も大きく変化するでしょう。
【娯楽】
テレワーク等の普及によって家で過ごす時間を持ったことにより、家族単位の楽しみ方を再発見した方も多いと思います。1か所に大勢集まって楽しむイベントが減り、もよりの場所で各々参加できる形へ変化していくと思います。海外旅行もすでにオンラインのバーチャルツアーが行われていますし、レジャーも近場の手軽な地域が見直されています。外食産業もデリバリーへの参入が顕著です。また、遠隔地でも参加できるオンライン飲み会は職場の歓送迎会でも行われていますし、人気ゲーム上での結婚式のご招待やお祝いなども広がっており、仲間同士の一体感、共有感を生む“新しいカタチ”が生まれています。
【教育】
9月入学案はしばらくなくなりましたが、学校と授業のあり方は早急に変わると思います。今までのような教科書中心の一斉授業から、教室の環境とパソコン等の設備が進み、給食、学校行事、部活動、修学旅行、定期テスト等にも、学校ごとの特色が出てくると思います。同時に教師と保護者間の進路指導、受験塾や校外の習い事もSNSで選択肢が広がることでしょう。
このように、「コロナ後にどんな暮らしが待っているのか?」希望を持って想像してみましょう。まだまだ渦中ではありますが、今は一人一人が明るい材料に目を向けて、元気と勇気を取り戻すことが経済復興への1歩となると思います。人類は知恵によって長い年月を生き延びてきました。今回もきっと、世界は新しい社会を構築し、コロナウィルスにも打ち勝てると思います。ここはひとつ、苦しい中にも未来への心の投資として、「人にも生活にも優しい、新しい世界が待っているのだ!」と前向きに元気よく日々を暮らして行きせんか?